元F1ドライバー ジャック・ビルヌーブ
koheiです。
今回は、ジャック・ビルヌーブについて書こうと思います。
父ジル・ビルヌーブ(レーサー)の息子として1971年4月9日、生まれる。
カナダ人。
【F1キャリア】
1996年当時トップチームのウィリアムズからF1デビューしている。
初めてのレースで、2位表彰台獲得。デビューイヤーで4勝を獲得し、いきなりランキング2位を獲得する。
97年同じく、ウィリアムズから参戦し、初戦はリタイアしたものの、年間7勝し、自身初のF1ワールドチャンピオンを獲得する。
98年は、ルノーワークスエンジンが撤退したことや、シャーシー(車の)デザイナーが離脱したことにより、未勝利となり、ランキングが5位へ後退。
99年からは、新規参戦チームBARへ移籍する。(~2003年)
初戦から11戦連続リタイアという記録を作ってしまう。ポイント獲得0。
2000年から、エンジン提供がホンダになり、チーム名もBARホンダとなる。
戦闘力が飛躍的に向上!し、年間17ポイントを獲得sh、ランキングも7位へ。
2001年も12ポイントを獲得し、ランキング7位。
この年は表彰台に2回上がるも、上位との差は大きかった。
2002年、ホンダエンジンは2チーム4基の提供へ切り替える。
そんな中、ビルヌーブは4ポイント獲得に留まり、ランキング12へ大きく後退する。
2003年年間獲得ポイントが6へ、ランキングも16位へ後退となる。
最終戦日本GP前に、来年の契約がないという知らせがあり、日本GPを欠場。(代役に佐藤琢磨が1年ぶりに日本GPを出走)
1年間F1を離れる。
2004年ルノーからF1へカムバック!
コンストラクターズチャンピオンシップ(製造者部門)でBARとルノーがランキング2位を争う中で、昨年放出されたチームと争うルノーからF1へ戻ってくる。
このあたり、さすがジャック!
ラスト3戦出走するが、0ポイント。ルノーのランキングも3位でシーズン終了。
2005年から、ザウバーへ移籍。年間9ポイントを獲得しランキング14位。
最高位はサンマリノGPの4位でした。
2006年、チームはBMWに売却される。チーム名もBMWザウバーとなる。
第12戦までで、7ポイントを獲得しランキング15位、シーズン途中で、新人、ロバート・クビカにシートを譲る形で、F1界から離脱となる。
髪を赤く染めたり、楽器を弾いたりと、レース以外でもお騒がせしていた印象が強くあります。又、インタビューでは、歯に衣着せない発言が多く聞かれていました。
BARホンダから2003年に離脱し、2004年の残り3戦でF1に戻ってくるあたり、BARへの当てつけ以外の何物でもなく、メンタルの強さがわかる。
好きなドライバーの一人でした。
最後までありがとうございました。