ジャンカルロ・フィジケラ
koheiです。
先日紹介したドライバーについて書こうと思います。
今回は、ジャンカルロ・フィジケラです。1973年1月14日生まれのイタリア人ドライバー。 フィジコことジャンカルロ・フィジケラは、かなりの苦労人です。
96年からミナルディで、F1デビューする。
97年ジョーダンへ移籍。チームメイトはラルフ・シューマッハ(ミヒャエル・シューマッハの弟)。
カナダGPで、自身初の表彰台を獲得。ベルギーGPで2位を獲得。
年間20ポイントを獲得し、ランキング8位へ。
98年は、ベネトンへ移籍する。(2001年まで)
2位を2回獲得するも、前年を下回る16ポイントで、ランキングは9位へ後退。
99年も、ベネトンで参戦し、13ポイントを獲得する。ランキングは9位。
2位を何度か獲得するものの、優勝にどうしても届かないことが続く。
2000年、この年も表彰台に何度か上るが、優勝はなし。
18ポイント獲得し、ランキングは6位へ。
2001年は、表彰台1回(3位)のみで、ランキング11位(8ポイント)
2002年・2003年再びジョーダンへ移籍。
2002年、佐藤琢磨がF1デビューしたこの年、初めてのチームメイトとなる。
入賞が何度かあるが、ランキング11位(7ポイント獲得)
2003年ついに優勝を手にする。雨のブラジルGPで初優勝!
表彰式では2位だったが、後日、優勝となる。戦闘力の高くないマシーンでの優勝で、実力で勝ち取った優勝。
この年、12ポイント獲得し、ランキング12位。
2004年ザウバーへ移籍する。
22ポイント獲得し、ランキング11位へ。
2005年~2007年ルノーへ移籍。
2005年1勝し、ランキングは5位へ。(チームメイトがワールドチャンピオン)
2006年も同様に1勝し、ランキング4位へ。(チームメイトがワールドチャンピオン)
2007年チームメイトにヘイキ・コバライネン(フィンランド)を迎える。
前年に比べ、マシーンの戦闘力が低下し、ランキングも8位へ後退。
2008年からフォースインディアへ移籍。
この年、リタイアが多くみられ、0ポイント、ランキング19位。
2009年も同じくフォースインディアから参戦。ベルギーGPで、2位獲得し、同年フェラーリへ電撃移籍。(フェリッペ・マッサの代役として)8ポイント獲得。
この年で、引退となる。(F1歴14年。)通算3勝。もう少し多くてもいいような印象は受けますが、1勝もできずにF1を去っていく人が多い中で、立派な数字かもしれません。
イタリア人として、フェラーリに乗りたかったフィジケラの最後の花道を用意してくれたフェラーリに感謝!!
ワールドチャンピオンを獲得することは、出来なかったが、いぶし銀の働きをしてくれる、グットドライバーであったことは確かです。
最後までありがとうございました。