元F1ドライバー 佐藤琢磨
koheiです。
今回は、日本人元F1ドライバーを紹介します。
佐藤琢磨は、1977年1月28日生まれ。
デビューは、2002年ジョーダン・ホンダから。
2002年の開幕戦、荒れに荒れたレースで、ポイント獲得が期待されましたが、リタイアでした。
日本グランプリの5位(2ポイント)の1度の入賞でした。ランキング15位。
2003~2005年BAR・ホンダ
2003年は、BAR・ホンダのテストドライバーで、ジャック・ビルヌーブが日本GPを出走しなかった事で、1年ぶりにF1を母国で走行し、6位入賞。
2004年は、ジャック・ビルヌーブに代わりレギュラードライバーになり、アメリカGPで初の表彰台を獲得する。(3位)
後半戦もコンスタントにポイントを重ね、34ポイント、ランキング8位。
2005年は、BAR・ホンダのチーム内のゴタゴタも見られましたが、年間1ポイントランキング23位へ。
2006~2008年、スーパーアグリ・ホンダへ移籍。
新規参戦チーム、スーパーアグリ・ホンダのエースドライバーとして、参戦する。
4年落ちの車を買い取り、レギュレーションに合わせただけの車では、ポイントを獲得することはできず、0ポイントでシーズン終了。
2007年同じくスーパーアグリで参戦。
この年は、スペインとカナダでポイントを獲得している。特に、カナダで前年チャンピオンのアロンソをオーバーテイクした際には、感動しました!
4ポイント獲得しランキング17位。
2008年チームの財政難からシーズン途中でF1から撤退する。シートを失い、いくつかのチームテストに参加するもシートを獲得できず。
2010年からインディカーへ参戦している。
2002年から2005年くらいまでは、粗削りなドライブが目立っていました。
他のドライバーやメディアから非難の声、又F1ファンからも経験を積んだ方がいいという声もありましたね。2006年以降は、落ち着いた走りをしているように見えました。
ジョーダンでも、BARでも、スーパーアグリでもホンダエンジンと一緒にF1で戦ってきました。日本の力とドライバーが頑張っている姿に感動しました。
又、彼のロケットスタートは、シューマッハも認める速さがありました。
彼のモットーは、「no attack no chance」
現在も他のカテゴリーで挑戦中です!今後も期待しましょう。
最後までありがとうございました。