元F1ドライバー中嶋一貴
koheiです。
2021年シーズン、久しぶりに日本人のF1ドライバーが帰ってきますが、以前にどのようなドライバーがいたのでしょうか?
少し振り返ってみましょう!
今回は中嶋一貴選手について振り返ってみます。
父は、日本人初のF1フル参戦ドライバー中嶋悟という、ドライバー一家の長男として1985年1月11日に生まれる。先日誕生日で、35歳になりました。
レースの経歴が長いため、F1を中心に振り返ります。
F3,SUPER GT、スーパー耐久、GP2を経て、F1ドライバーに。
ウィリアムズ・トヨタからの参戦を果たす。
2007年ブラジルGP(最終戦)からデビューし、2007年はこの1戦のみの出場。
このブラジルGPでは日本人ドライバーが、3人出走する。(中嶋一貴、佐藤琢磨、山本左近)
このブラジルGPでチャンピオン決定戦という大舞台でデビューとなる。ハミルトン、アロンソ、ライコネンという三つ巴の決定戦でした。
初めてのピットインで、自社のピットクルーに車をぶつけてしまう・・・。( ゚Д゚)
1戦のみの出場のためランキングは22位。
最高にエキサイティングなレースに参戦できたことは、うらやまし~の一言です!
2008年同じくウィリアムズ・トヨタから、日本人8人目のフルタイムドライバーとして参戦。チームメイトは2016年にワールドチャンピオンになるニコ・ロズベルグ。
たびたび、クラッシュが目立ち、1発の早さに課題が見られたものの、初戦では、6位入賞。その後もちょこちょこ、ポイントを重ね、9ポイントを獲得し、ランキング15位へ。
2009年も同じくウィリアムズ・トヨタから参戦する。チームメイトも同じくニコ・ロズベルグ。
予選1発の早さは改善されたものの、ピットクルーの手際の悪さが目立ち、この年、ポイントを獲得出来ず終了。
契約もされず、2年ちょっとのF1活動が終了する。
F1でのベストリザルト6位でした。
2011年以降国内のレースに復帰。
フォーミュラー・ニッポンやSUPER GT、ル・マンなどで活躍している。
F1でのレースは、彼の経歴からすると短い間でした。レースはF1だけではないので、他のカテゴリーでも頑張ってほしいです。
これからの活躍にも期待です!
最後までありがとうございました。