ジェイビー ②
koheiです。
昨日に引き続き、ジェンソン・バトンについて書いていきます。
ジェンソン・バトンは、愛称、ジェイビーと言われていました。
可愛い愛称です。
さて、BARホンダから、ワークスのホンダに変更されましたが、ジェンソン・バトンはホンダに残りました。チームメイトが佐藤琢磨からベテランのルーベンス・バリチェロ(ブラジル)に変更になりました。バリチェロは、前年までフェラーリで過ごしていたドライバーです。
佐藤琢磨は、スーパーアグリへ移籍する。エンジンも2400ccに変更になる。
2006年は、フェラーリシューマッハvsルノーアロンソの世代抗争の時期でした。
前半は、少しづつポイントを重ね、中盤はリタイアが多くみられました。
後半戦の雨のハンガリーGPで自身初の優勝をする。
ホンダとしては、第3期として最初で最後の優勝でした!
この時の感動は、忘れられませんね~!新聞にも載っていて、スクラップした記憶があります。
更に後半は、確実にポイントを重ね、ランキング6位でシーズンを終える。
2007年も同じチームメイトで参戦する。この年は、苦戦を強いられる。
エンジンを提供しているスーパーアグリチームにポイントを先に獲得される。
結果、入賞3回でランキングも15位へ。
2007年~2008年にかけ、リーマンショックがある。
そんな中、2008年が開幕するが、シーズン途中で、ホンダエンジンを利用していた、スーパーアグリがF1から撤退する。
2008年のマシンに戦闘力は無く、1度の入賞に留まる。チームメイトは変わらず、バリチェロ。前年を下回るランキング18位。
又、ホンダも不況のあおりを受け、シーズン終了をもってF1からの撤退を発表する。
2009年ロス・ブラウンがチームを買収。
ドライバーは引き続き、バトンとバリチェロ。
マシンは、基本的にホンダが作ったものを代用し、参戦する。(エンジンは変更しメルセデス)
シーズン開幕し、7戦6勝という驚異的な早さを見せる。その後も安定した走りで確実にポイントを獲得する。
フェッテルの追い上げがあったもののこの年のワールドチャンピオンを獲得する。
ホンダはチャンピオンを獲得出来る車を格安で(一部では1ポンド)で、ブラウンに渡したというニュースが出ていました。
ブラウンは、棚ボタでした。当初は、全くスポンサーもついていなかった白い車は、みるみるスポンサーがついていた記憶があります。
後半は、開発力の低下で追い上げられましたが、逃げ切り初めてのタイトルを獲得しました。その後ブラウンはメルセデスになります。(2010年)
振り返ってみると、どん底からのワールドチャンピオンを獲得したジェンソン・バトン!ホンダで諦めていたら、チャンピオンにはなっていなかったと思います。
諦めない大切さを教えてくれています。
最後までありがとうございました。