元F1ドライバー、ジェンソン・バトン ①
koheiです。
1980年1月19日生まれのイギリス人。2009年にワールドチャンピオンになっています。
初優勝は忘れもしない、2006年雨のハンガリーGPでした。
モデルの道端ジェシカと結婚し、日本のF1ファンにもジェンソン・バトンの名前が知れ渡りました。しかし約1年後に離婚されています。
そんな、ジェンソン・バトンのF1での経歴を振り返ってみましょう。F1での経歴が長いので分けて記事にしていきます。
2000年バトンはウィリアムズからF1デビューをする。チームメイトにミヒャエルの弟ラルフ・シューマッハ。
開幕戦はリタイアしたものの、第2戦でポイントを獲得し、当時の最年少ポイント獲得を達成する。
デビューイヤーから安定した走りを見せ、確実にポイントを獲得していく。12ポイントを獲得する。
ベネトンにレンタル移籍となる。ベネトンのマシンは戦闘力にかけるマシンで、特にエンジンのパワー不足に苦労する。
前年を下回る2ポイントの獲得に留まる。
2002年は、ベネトンを完全買収したルノーワークスチームになる。
再び安定したドライブを披露し、14ポイントを獲得する。
ここまでに表彰台は獲得出来なかった。
2003年~2005年BARへ移籍。
1997年ワールドチャンピオンのジャックビルヌーブとタッグを組む。チームメイトとの仲はあまり良好とは言えなかった。ビルヌーブは最終戦を走行せずチームを離れることになる。
バトンは、安定した走りでポイントを獲得していき、ランキング9位となる。
2004年~2005年チームメイトに佐藤琢磨を迎える。
2004年フェラーリが圧倒的早さを見せている中で、BARホンダもフェラーリに次ぐ早さを見せ、コンストラクターズ2位を獲得する。
バトンも安定した走りを見せコンスタントにポイントを獲得し、2位を4回、3位を6回獲得するが優勝は未だに無し。ランキングも3位へ浮上!完全にトップドライバーとして認識される。
2005年、ルール変更があり、前年まで敵なしだったフェラーリが1勝に終わった年でしたが、BARも苦労をする。
前半戦は、ポイントを獲得出来ずに折り返す、後半戦は、確実にポイントを獲得しランキングは9位へ後退。
来年からホンダワークスチームへ変更となる。
カーナンバー4(佐藤琢磨)2005年
今回は、ここまでです。次回はホンダワークスからブラウンまで書こうと思います。
イギリスのチームウィリアムズからデビューし、苦労しながらも成長してくる過程でした。2004年にはランキング3位という成績を残しましたが、フェラーリと言う大きな壁がありました。
2005年は失意の年だったと思いますが、情熱を失わずレースを続けました。
その結果が、開花します!
最後までありがとうございました。