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日常生活の一コマ

日の丸シューマッハ ラルフ・シューマッハ

koheiです。

 

今回紹介するのは、ラルフ・シューマッハです。

兄に7回のワールドチャンピオンを獲得した、ミヒャエル・シューマッハの実の弟である、ラルフ・シューマッハ(ドイツ)は1975年6月30日生まれ。

 

1997年兄と同じく、ジョーダンからF1デビューする。

初年、表彰台を一度獲得するが、リタイアが多く荒っぽさが目立っていた。ランキングは11位。

98年も同じくジョーダンから参戦する。

荒々しさは残っていたものの、2位、3位を獲得する。ランキングも前年を超える。10位。

 

99年から2004年まで名門ウィリアムズへ移籍する。

1999年、優勝はないものの、安定した走りが見られはじめ、確実にポイントを獲得する。ランキングも一ケタの6位へ。

2000年、BMWは、ウィリアムズにエンジン提供を開始。ドライバーは、ラルフとジェンソン・バトン(2009年ワールドチャンピオン)となる。

優勝はできなかったが、表彰台を重ねていく。ランキングも5位へ。

2001年ドライバーにファンパブロ・モントーヤを迎える。

第4戦サンマリノGPで初優勝。母国ドイツGPでも優勝し、年間3勝を獲得し、ランキングも4位へ。この年、ミシュランタイヤがF1へ参戦し、タイヤ戦争になっていく。

ミヒャエル(フェラーリブリジストンタイヤ VSラルフ(ウィリアムズ)ミシュランの兄弟バトルの様相になってくる。タイヤ・兄弟バトルはドイツ・ヨーロッパで更にF1人気が出始める。

2002年開幕戦は、日本では佐藤琢磨デビューという事で見ていましたが、波乱の幕開けとなりました。

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2002年は1勝に留まりましたが、ランキングは4位。

 

2003年前半戦から確実にポイントを重ね、ランキング5位。

ヨーロッパ・フランスと2週連続開催では、8日間で2勝を挙げた!

このころ、コース上で兄ミヒャエルの後ろを走っているだけで、追い抜きにかからないという報道が多くみられた。→上記連勝をしたのち、ダメなドライバーでも勝つことが出来たよ!と皮肉めいた発言もあった。

 

2004年優勝はなかったものの序盤からポイントを稼いでいく。アメリカGPでクラッシュがありその後、数戦欠場を余儀なくされる。日本GPで、兄1位、弟2位の兄弟1,2フィニッシュをしている。(これが最後の兄弟1・2)欠場もあり、ランキング9位。

 

2005年~2007年トヨタへ移籍。日の丸シューマッハと言われていた。

2005年トヨタでも安定した走りを見せ、ランキング6位。

表彰台も2度獲得する。

 

2006年トヨタは、ミシュランからブリジストンへタイヤを変更する。

ラルフにとっては、久しぶりのブリジストンタイヤであった。マシンの信頼性が低く、リタイヤすることが多くみられた。表彰台に1回上がるも、ランキングは10位へ。未勝利。この年、兄ミヒャエルは、一度引退する。

 

2007年、中団を走ることが多くなる。ランキングも16位へ後退し、引退。

通算6勝。トヨタで優勝はなかった。

 

この後、DTMなどに参戦する。(2008~2010年)

 

【個人的見解】

成績だけで、兄ミヒャエルと比べると、見劣りは否めない。しかし、ドイツ人としてBMWエンジンのウィリアムズで参戦し、勝つところでは確実に勝利してきている。

トヨタ移籍も、トヨタF1工場は、ドイツ(ケルン)に在ったわけで、ドイツになじみ深く、

 

 

個人的にラルフファンでありました。

国内の相撲もそうでしたが、兄弟バトルは大きな見ものでした。

チームも違い、タイヤも違いましたが、兄弟のバトル暑かったな~!!

下記写真は、カーナンバーは違いますが、TF107になります。

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ヤルノ トヨタ

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ラルフ

最後までありがとうございました。

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